母の日発祥の起源とは
今でこ日本の年間行事としてすっかり定着した感のある「母の日」ですが、このもとになっているのは米国でのある女性の逸話です。
母の日としてお祝いが始められるもとになったのは、1905年に米国のアンナ・ジャービスという女の子が自分の母親が亡くなったことで「生前の母親にきちんと感謝の気持ちを伝えるべき」という運動を始めたことです。
この運動はやがて米国全土から更に世界中へと広がっていき、米国内で1914年い当時大統領であったウィルソン大統領によって5月の第2土曜日を母の日とするという法律が出されたことにより制定し、そうした祝日化の動きが広がっていったのです。
ただこの起源については諸説があり、17世紀英国で復活祭の40日前の日曜日を「マザーズデイ」として出稼ぎ労働者を機関させてきたという説もあるので、歴史的に複数の要因が重なっていったことで特定の日付に定着していったということができます。
日本においては明治末期頃には同じような行事を行うような動きはあったものの、本格的に「母の日」として広がっていったのは戦後からとされています。
なお昭和初期ころにあった「母の日」は当時の皇后の誕生日であった3月6日だったのですが、それが戦後になって変更をすることになったようです。
母の日とカーネーションについて
米国で始められた母の日では、最初は亡くなった母親に対して捧げられていたのは白いカーネーションでした。
それから年月がたつことで、母親が既に亡くなっている人は白いカーネーションを、現在も生きている人に対しては赤いカーネーションをというふうに色分けがされるようになりました。
ただし学校や保育園などの集団教育の場所においては、母親が存命であるかどうかや同居しているかどうかはかなりプライベートな問題になってくることから学校においてはあまり具体的に色で区別をするということはなくなってきているようです。
現在では学校行事などで母の日を行う場合には実際に母親が子供の近くにいるかどうかということにかかわらず赤いカーネーションをあげるということで統一がされています。
日本以外でも行われる母の日行事
母の日の起源となった米国においては、今も日本と同じように5月の第2日曜日ということで日にちが固定されています。
ですが他の諸外国で行われている母の日に類似する祝日をみてみると若干日付が異なる例も見かけられています。
例えば3月21日の日本で言う春分の日にはバーレーンやエジプト、アラブ連盟、サウジアラビアといった中東の国々が母の日を設置しています。
またキリスト教的な行事に結びつけるという意味で第四旬節の第4日曜日として定めているのが英国やアイルランドというくいです。
それぞれの国の母の日では習慣的に行われるお祝いの種類やプレゼントとされる品物が異なっており、全く別の行事のような雰囲気になっています。
母親や子供を産んだ女性を敬う日ということでは世界中で共通はしているものの、その方法や日程については大きな違いがあるということですね。