数多くある親孝行に関することわざ
日本は古くから儒教思想を国策として取り入れてきた国であるため、特に年長者や両親を敬うことを美徳として生活の基盤が作られてきました。
そのため民間で伝えられてきたことわざや昔話にも親を大切にすることを推奨する内容のものが多く、国語があまり得意でない人であっても耳にしたことのある言葉がたくさん残されています。
代表的なものとしては「親孝行したい時には親はなし」といった川柳や、「墓に布団は着せられぬ」といった言葉です。
この2つはいずれも子供の立場からしてみると親はいつまでも元気で自分の近くにいるものと思っていても、年長者である親は先に亡くなってしまうものなのだからできるうちにやっておきましょうという心構えを示すものです。
同じような戒めを伝える言葉は他にもたくさんあり「いつまでもあると思うな親と金」や、「子養わんと欲すれども親待たず」といったものも有名な親孝行についてのことわざとなっています。
「親の心子知らず」になっていませんか
親孝行をすることを直接的に促すものではありませんが、「親の心子知らず」という言葉もまた親と子供の気持ちを示す有名な言葉です。
子供の頃というのは成長の過程での反抗期などもあり、親があれこれと自分の行動に口を出してくることを何かと疎ましく感じたりすることがあるものです。
遊びに行ったり友達付き合いをしたりすることに関して制限や叱責を受けると、子供の立場としては「親はこっちの気持ちもわからず言うことを聞かせようとしている」というふうに受け止めてしまいがちですが、それから数年~数十年が経過したあとになって思い返してみると親の言っていたことの方が正しかったということに気づくこともよくあります。
ただ親も一人の人間ですから、そのときの機嫌や世間体で子供の行動についてあれこれ言ったり、理にかなわないような言いつけをしたりすることもあります。
そうした気持ちも全て含めて、子供が子供という立場のうちには「親の心子知らず」というわけです。
親孝行をするということは、全てにおいて素晴らしかった親を称えるということではなく、いろいろな葛藤の中で自分と接しここまで導いてくれたということ全てを受け入れるという印でもあると言えます。
「杜子春」に見る親孝行
日本において親孝行について語った最も素晴らしい物語といえばやはり芥川龍之介の「杜子春」が挙げられます。
「杜子春」はもともとは中国の古典の「杜子春伝」を童話として書きなおしたものですが、いずれも若者がお金持ちになりたいと仙人(原作では導師)のもとを訪ねたところ、試練を受けて合格をすれば弟子にしてやると言われるところから始まります。
試練は「決して口をきいてはいけない」というものであったところ、さまざまな恐ろしいものが目の前に現れたあとで、自分の両親が鬼たちに痛めつけられる様子を見ることになります。
それでも弟子入りしたい一心で親が傷つく様子をずっと見ているのですが、最後に親への拷問が終わったところで「お母さん」と一言漏らしてしまったことで試練に失敗をしてしまうというお話です。
教科書などにも掲載される有名な話なので誰しも一度は読んだことがあることでしょうが、お金ではなく親孝行をするという気持ちがどれほど大切かということをこのお話では諭しています。
十分にわかっているつもりでも時間が経つとどうしても親への感謝の気持ちというものは薄れていってしまうものなので、定期的に「杜子春」は読みなおしてもらいたい小説です。